LOVE JUNKIES


▷Project


鎌倉に活動拠点を移した重力/Note

約二年ぶりとなる新作はひとり芝居

国内外で縦横無尽に演劇活動を続ける仙台の俳優・小濱昭博が出演

2019年6月〜7月にかけて仙台→北九州→盛岡の三都市を巡演

世界中を旅したり異国に住んで思索することで知られる哲学者アルフォンソ・リンギス

彼が出会ったセクシャルマイノリティの犯罪者カップルを描いたテクスト『LOVE JUNKIES』を演劇化

〈愛〉と〈信頼〉

いかなる苦難の状況においても、人間が求めないではいられない精神の身振り。

その根底に流れる情動を、地球規模で繰り広げられる生命の営みと繋がりを持つものとして考察したテクストをもとに、いまの私たちの生存感覚と向き合う〈場〉をひらく演劇を生み出した。

遠距離間での共同作業の可能性を模索する〈リモート稽古〉や、上演予定各地で稽古やリサーチを重ねて移動性と場所性を活用する〈旅する稽古場〉といった創作プロセスの試みも注目された。


▷あらすじ

ロングベイ刑務所の中にいる囚人ウェインと、その恋人シェリル。ウェインにとって、彼女は誰よりも美しく、尊重されるべき存在だ。彼女もまた麻薬密売人と窃盗の罪で服役している囚人である。生きていく中で自分の性に疑問を持ち、睾丸を摘出した彼女は、刑務所の男性セクションでウェインに出会った。

刑務所内での様々な制約のもと、他人からの偏見や嘲笑と戦いながらも互いに尊重し求めあう二人の物語を、第三者の視点で語る。


©︎舞台写真:岩渕 隆


[仙台公演]    6月16日(日)〜23日(日)@せんだい演劇工房10-BOX box-1

[北九州公演]   7月5日(金)〜7日(日)@枝光本町商店街アイアンシアター

[盛岡公演]    7月16日(火)〜17日(水)@いわてアートサポートセンター 風のスタジオ


原作        アルフォンソ・リンギス(『信頼』より)
翻訳        工藤 順


出演        小濱 昭博


演出・舞台美術   鹿島 将介


舞台監督・照明   山澤 和幸


舞台美術作製補   松浦 良樹


音響        佐藤 武紀


宣伝美術      青木 祐輔


制作        志賀 彩美 岩渕 隆 横澤 のぶ(仙台) 村田 青葉(盛岡) 鄭 慶一(北九州) 


協力        University of Minnesota Press 劇団 短距離男道ミサイル チェルノゼム 演劇ユニット 箱庭 

          演劇ユニット せのび 枝光本町商店街アイアンシアター ゆめみるけんり 

          平井 光子 本多 萌恵 飛田 ニケ


助成        公益財団法人仙台市市民文化事業団


主催        重力/Note


ハッシュタグ    #重力Note #コハジャン #LOVEJUNKIES


上演時間      約75分


再演        ◯


フライヤーデザイン:青木 祐輔

*初期印刷物および公演案内では「LGBT」と記載しましたが、その後ご指摘をいただき「セクシャルマイノリティ」に変更しました。


▷舞台美術プラン(デザイン:鹿島 将介 作製:山澤 和幸・松浦 良樹)

先にツアーが条件づけられていたことから、舞台美術は「持ち運びやすさ・背景となるブラックボックスの引用・光と闇の可変性を可視化」などの要素を兼ね備えた設計に。天井部の吊り上げには、各劇場の有志の方々に助けていただいた。

舞台監督:山澤 和幸 舞台美術作製補:松浦 良樹  ©︎舞台美術:鹿島 将介 ©︎写真:岩渕 隆

▷照明プラン(照明デザイン・操作:山澤 和幸)

照明と舞台美術が融合するアプローチとツアー可能な構造設計を両立させるために綿密に打ち合わせた。必要機材の発注からプログラム組み、劇場での実験など着実なアウトラインを引いて独自の演出効果を実現させた。

©︎写真:岩渕 隆

▷音響プラン(音編集・操作:佐藤 武紀)

音響には大阪から佐藤武紀が参加。オンラインでの打ち合わせを重ね、仙台の劇場入りと合わせて合流。舞台稽古を観察しながら音源を編集して構成するアプローチを取った。

©︎写真:岩渕 隆

▷当日パンフレットの挨拶文

2015年に私が中国を旅したときのこと。

所持金も少なく、言葉は通じず、かろうじて漢字だけが伝わる状況のなか、闇雲に万里の長城を目指すということを試みたのですが、やっとつかまえたタクシーの乱暴な運転に揺られながら舗装されていない田舎道に佇む野良犬とサクランボ畑を横目に、このまま捨て置かれたら本当にどうにもならないだろうなと思ったものです。

結局どうにか日本まで帰ってくることができたわけですが、この経験は私のなかで長らく響き続けました。

あのとき私は一体何を頼りにしていたのか?

リンギスの『信頼』を読んだのは、そんな旅の最中でした。

原作の表題である〈trust〉の語句を調べると、 信じる対象が「人自身」とされ、その人の存在自体、つまりその人の人格を信頼していて「その人に自分の身を委ねること」を意味します。

一方、似た言葉に〈believe〉がありますが、こちらは信じる対象が「人が話した内容」。「誰かが話した、または話している内容を信じること」を表わします。話の内容は信じてるというだけなので、その人の人格などを全面的に信頼しているかということは関係ありません。

ここで言えるのは、ヒトとコトいずれを信じるにも、自分では制御できない不確実なものから選び取る必要があるということです。

考えてみると、この世のほとんどはそんなものばかり。

いつだって私たちは境目に立ってアヤフヤなものの中から〈信じる〉を選んでいるのです。

たえまない〈信じる〉を必要とする旅の時間は、この世界の原理に身を浸す機会とも言えます。

本作品もまた様々な旅の時間が折り重なって実現しました。

本日の上演が皆さんにとって短い旅の時間になることを願って。

鹿島 将介


Creation process

▷リモート稽古&創作体制

鎌倉に拠点を移し、稽古場のあり方から創作プロセスそのものを解体&再構築した。主にヒアリング・ひとり稽古・立ち合い人がいる稽古・オンライン稽古・演出を同伴した通常稽古・スタッフ同伴の舞台稽古など、それぞれのアプローチに適した作業課題や影響する要素を鑑みながらスケジュールを組んだ。

2020年のコロナ禍がスタートする以前から、重力/Noteでは創造性と具体的効果に焦点を当てながらリモートによるクリエーションの実践を手掛けている。


▷旅する稽古場(鎌倉・横須賀・北九州・盛岡・仙台etc)

俳優と共に旅をしながら稽古をする試み。どんな五感の体験が演技に影響・効果あるのかを追い求めた。


▷〈ひとりになる芝居〉という表現形式の模索

一人で演じる上演形式としての〈一人芝居〉と、俳優の演技上の作家性を抽出する〈ひとり芝居〉の違い。

さらに観客の知覚を巻き込み、価値観と感性を個別化するアプローチとしての〈ひとりになる芝居〉へ。


▷仙台→北九州→盛岡の三都市ツアー

プロジェクト設計段階で小濱昭博の希望を汲み、彼と地縁のある三都市をツアーできる作品であることが条件づけられた。

仙台で作品を立ち上げ、そこから北九州と盛岡を回った。北九州では鄭慶一が、盛岡では村田青葉が現地のアテンドおよびポストトークの司会を担い、現地の観客と上演を繋いだ。

鄭 慶一 ©︎写真:鹿島 将介
村田 青葉(中央) ©︎写真:鹿島 将介

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▷原作テクストの出版

翻訳者・工藤順が自らデザイン&印刷した原作テクストの冊子。仙台公演中にほぼ完売してしまい、ツアー先では白黒印刷の簡易版を追加販売した。


▷掲載情報

今回私は一人芝居という上演形式を〈ひとりになる芝居〉だと考えてみることにしました。舞台に立つ俳優が大勢の観客を前に一人になろうとする。その演技を通じて、観客もまた客席のなかでひとりひとりになっていくイメージ。いま〈自立〉は、日本社会の各分野において吟味されているテーマですが、ひとり芝居にはそのことを考えるキッカケが沢山詰まっていると思います。自分の居場所について考える演劇をお届けします。

鹿島 将介

                          (▷ステージナタリー掲載用コメント2019.06.19)


渋革まろん氏の劇評(『悲劇喜劇 2019.11 No.801』掲載)

「……ユニークなのは、このテクストが二人称を採用していることである。語り手は「きみ」とウェイン・シェリルに語りかける。テクスト上では、「語り手」は作家=リンギスのことだと普通は了承される。しかし、文字と意味の間に俳優の身体が媒介される上演の場合、「きみ」と語りかけている語り手=身体はいったい誰なのか、リンギスなのか、小濱なのか、あるいはそのどちらでもない語り手が自らのことを「ウェイン/シェリル」と語っているのか、「語り手」の主体は複数のレイヤーへと多層化・多重化するのである。こうした不明瞭さを抱えた主体のあり方を、重力/Noteの上演は、暗闇の中に溶け込んでいく曖昧な身体として表出する。」

「……時に夢が現実よりも鮮明なリアリティを持って知覚されるように暗い闇の中から発生してくる声・音・動き・光のマテリアルが鮮烈な印象を観客に与える。ここで、劇場空間は、印象的な諸効果から生成される複数の意味が、連想的に繋がり、連鎖し、縮減する、イメージの潜勢力を遊動させた〈潜在空間〉に変質する。それは、観客と世界のインターフェイスだ。現象に潜在する連想的ネットワークのうちで予見し得ない複雑な知覚や意味が生成される〈多重性の場〉に「我々」の身体を変容させるのである。」

「……客席に集まった「我々」は隣の人と同じ現象を目撃する。しかし同時に「我々」は、個々バラバラの夢も観ている。重力/Noteの上演は、内/外の境界が揺らぐ暗闇をメディアにすることで、個々の観客の身体が偶然性に満ちた暗闇=〈多重性の場〉になるように誘発する。その時、いかにして観客の自明性を突き崩すかという問いへの応答は––鹿島と小濱の個人的遭遇が本作に結実したように––世界の偶然性を繋ぎ重ねていく「我々」の旅する身体/動きに賭けられている。」

渋革まろん『「我々」とは誰のことか?-地方の怨念とエイズの身体と旅すること』より抜粋


【アルフォンソ・リンギス Alphonso Lingis 1933~ 】

1933年生まれ。哲学者。ペンシルヴァニア州立大学名誉教授。リトアニアからの移民の子として、シカゴ郊外の農場に生まれる。学生時代は精神病院で働いていた。フランス現象学と実存主義の研究者としてスタートし、のちにバタイユやブランショの思想に接近。メルロ=ポンティ、レヴィナス、クロソウスキーの翻訳者としても知られる。また世界中を旅し異国で生活をする思想家としても名高く、その経験を発端とした哲学的な洞察をもとに、越境的な想像力と情動を孕んだ独特の文体で読者に問いかける。主な著書に『信頼』『汝の敵を愛せ』『何も共有していない者たちの共同体』『異邦の身体』などがある。


▷参考資料

洛北出版HP掲載 田崎 英明氏によるアルフォンソ・リンギス分析(▷リンク先はこちら


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