リスボン@ペソア


▷Project

20世紀を代表する作家の一人であるポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアのテクストを原作にした演劇作品。

生涯リスボンの街と海にこだわり続けたペソアは、そこで生まれた感覚ひとつひとつに対して数々の別人格としての《異名》をつけ、一人一人に詳細なプロフィールを書き出しては全くの他人として扱う作家だった。「私は誰でもない、絶対、誰でもないのだ」と書き記したペソアの精神には、匿名性や様々な《顔》を使い分けて生きざるをえない現代人のルーツを見出せる。

上演では、代表的な詩のほか死後に発見された草稿とリスボンの観光案内をもとに、紙とポルトガルの海に向けていた作家の眼差しを演劇化した。書かれたテクストの中でのみ存在するとされた《異名》たちの「誕生と死」を俳優たちが反復してみせることによって、ペソアの言葉が持つ演劇性と《未だ終わらない問い》をコミカルで軽やかなタッチで描き出した。

劇団創立後、初の国内ツアー。6月13日から同月16日の期間をBankART Studio NYK/NYKホール、6月20日から同月21日の期間をせんだい演劇工房10-BOX box-1にて上演。横浜公演では、現代美術作家の川俣正氏の常設されたオブジェを使用した。仙台公演は、2012年に参加したC.T.T.sendaiでの発表を観た小濱昭博がアテンドを担当。照明には、仙台で活動する山澤和幸も参加している。

本公演はポルトガル大使館後援のもと日本ポルトガル友好470周年記念事業の一つであると共に、公式な手続きを踏んだ日本語によるペソア作品の上演の最初となった。


▷あらすじ

ブルーシートと一脚の椅子がある。五人の男女がシートを広げると、そこにポルトガルの海が立ち現れる。ややあって海に向かって囁かれるのは、かつてペソアによってその水面に呟かれたであろう言葉たち。やがて《リスボンの観光案内》が語られていくことで、ペソアの《異名》たちが彷徨ったリスボンの街並とその生活が展開されていく。それらは詩人が眼差した紙面と海の狭間に広がる《存在の深淵》へと向かうのだった。


舞台写真:堤 裕吏衣
舞台写真:岩渕 隆


会場        横浜公演 BankART Studio NYK/NYKホール (1F)

          仙台公演 せんだい演劇工房10-BOX box-1


原作        『新編 不穏の書、断章』(平凡社)

著者        フェルナンド・ペソア

翻訳        澤田 直


引用・参考文献   澤田直訳編『ペソア詩集(海外詩文庫)』(思潮社) 

          近藤紀子訳『ペソアと歩くリスボン』(彩流社)

          渡辺一史訳『海の讃歌(オード)』


出演        稲垣 干城 井上 美香 瀧腰 教寛 立本 夏山 邸木 夕佳


構成・演出     鹿島 将介


衣装        富永 美夏  


照明        山澤 和幸 


照明補佐      芳賀 奈音美


音響        堤 裕吏衣  


舞台監督      鈴木 拓  


宣伝美術      青木 祐輔  


制作        永井 彩子 平井 光子 小濱 昭博(仙台制作協力:短距離男道ミサイル)


後援        ポルトガル大使館 Camões, I.P. 日本ポルトガル友好470周年記念事業


協力        アマヤドリ 株式会社 平凡社 短距離男道ミサイル BankART1929

          本多 萌恵 鈴木 麻佑


助成        アーツコミッション・ヨコハマ


主催        重力/Note


ハッシュタグ    リスボン@ペソア


再演        ◯(メンバー再編&リメイク)


フライヤーデザイン:青木 祐輔

街角の異郷《リスボン》———

フェルナンド・ペソアのことを説明しようとすればするほど、まったく違う人物について喋ってしまったような気分になる。彼の言葉の中で気に入った一節を思い返すとき、実はそれは彼自身のものではなくベルナルド・ソアレスだったりアルベルト・カエイロだったり、リカルド・レイスやアルヴァロ・デ・カンポスだったりして、それら全ての言葉が融解した状態で《ペソアのようなもの》として記憶に漂っていることに気づく。ところで、勢いよく人名を連ねてしまったが、これらの名前はペソアの内部において生まれては死んでいった他者——しかもあたかも実在していたかのような経歴のある《異名者》たちである。ペソアではある/が違う存在/でもペソア……? さあ、この時点でもう厄介。

幼少期の孤独を慰める友達だった《異名者》は、いつしかペソアの中で文学上における方法論にまで高められる。彼は生涯に70以上もの《異名者》を生み出し、それぞれに独自の思想や価値観を持たせ、語らせた。本来であれば彫琢された一個の像を結ぶべきはずの作家性を、彼は《異名者》の数だけ砕いていく。増えれば増えるほど当のペソア自身の言葉は埋没し無個性になり、まるで現代人に先駆けたかのように「人間の縮小」を体現したペソアに対して、作家論だとか解釈といった眼差しでテクストを読み解くことは難しいんじゃないか。読解の不可能性。ただの古典だと思って迂闊に近づくと痛い目にあう。

増殖し続ける《異名者》たちに囲まれながら、その傍らでポルトガルや首都リスボンの紹介をすることに、若き日のペソアが殆ど運動とまで呼べるほどの情熱を注ごうとしていた事実は興味深い。軽快な口調で綴られたリスボンの観光案内もまた『不穏の書』ではないだろうか。彼であれ《異名者》であれ、《ペソアのようなもの》が漂う場所としての《リスボン》を思考してみる。ヴェンダースの『リスボン物語』みたいに街角あたりでペソアに遭遇できたらいいのだけれど。

                                       鹿島 将介


横浜公演の舞台空間
仙台公演の舞台空間

▷当日パンフ


▷当日パンフ挨拶文

ここ一年のあいだ、詩人という存在が妙に気になっていて、彼らの言葉の残しかたというものに興味がある。たとえばパウル・ツェランや石原吉郎といった詩人には、ホロコーストや収容所といった筆舌に尽くし難い経験が、彼らの言葉の隅々まで貫いているとされている。中原中也が「ホラホラ、これが僕の骨だ」と書き記す感覚にも、他人からは到底及び難いその人自身の深淵を感じる。

ペソアには今まで私が出会ってきたどの詩人とも違う一種の《軽さ》を感じる。テクストは陰鬱なのにどこか軽快なのだ。たぶんこの《軽さ》は、詩人の実人生と書かれた言葉との間にフィクショナルな距離、つまりペソアにおいては《異名》を存在させていることで、中也のような剥き出しの身体の重さから解き放たれている。テクストの中にだけ存在できた《異名》達の人生とペソア個人とは、まったく別の存在として分け隔てられ、それぞれのテクストそれ自体からホンネを読み解くのは難しい。書かれた言葉の当事者になることを意図的に避けること––この距離の取り方にペソアがどんな可能性を感じていたのか。そして、これはつまり「俳優とは何なのか」という問いに繋がることでもあるのだけれど。

本日はご来場いただきまして、ありがとうございます。この場所が、あらたなペソア・ウィルスの感染源になることを夢みたいと思います。

鹿島 将介


▷作家紹介(デザイン・作成:永井彩子)


▷【フェルナンド・ペソア Fernando António Nogueira Pessoa 1888~1935】

ポルトガルの首都リスボン生まれ。リスボン大学文学部中退。母親の再婚を機に南アフリカのダーバンへ移り、幼少期は英語による教育を受けた。17歳の時にひとりで帰国し、その生涯のほとんどをリスボンで過ごす。祖母の遺産で出版社イビスを設立するも倒産、貿易会社でビジネスレターを書くことによって生計を立てた。1914年3月8日、自身の師と仰ぐことになるアルベルト・カエイロ、共に彼の弟子となるアルヴァロ・デ・カンポス、リカルド・レイスら《異名者》が現れる。同年には《異名者》ベルナルド・ソアレスが『不穏の書』を執筆開始。以降、これらの《異名者》たちとの「幕間劇の虚構」が繰り広げられることになる。一生のうちに生み出した《異名者》は70名を越える。王制から共和制へと革命が起こり様々な権威が失墜していく中、ポルトガルやリスボンを海外に紹介する運動を準備するも頓挫。詩誌『オルフェウ』を創刊するなど、当時の前衛芸術運動の中心として活躍するが、生前はほとんど無名であった。生前刊行にいたったものは英語で書いた詩集三冊と詩集『メンサージェン』(1934年)一作のみ。1935年没。死後、衣装箱一杯の未刊の草稿が発見され、それらは現在も研究・編纂・出版され続けている。


▷澤田直さんによる劇評が『現代詩手帖 2013.8号』に掲載

「(世界各地でペソアが上演されては失敗するなか)鹿島将介の演出による『リスボン@ペソア』が、その数少ない成功例の一つであることはまちがいない。なぜ多くの公演は破綻してしまうのか。それはまず、ペソアその人を演じきれるような役者はなかなかいないからだ。(…)ぼくがいままで見たペソアものは、どれもそれなりの工夫はあったけれども、ペソアやその異名者が演じられてしまうと、とたんにしらけてしまうのだった。「詩人とはふりをするものだ」と喝破した詩人を演じるのは難しい。(今回の重力/Noteの公演は)誰もペソアを演じることはなかった、誰もがペソアに、そしてその半異名者ベルナルド・ソアレスに、アルベルト・カエイロ、アルヴェロ・デ・カンポス、リカルド・レイスという異名者になると同時に、誰にもならないという荒技をやってのけた。」 

澤田直『ペソアの脳内空間』より一部抜粋


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▷ポストトーク・ゲスト

【渡辺 一史(駐日ポルトガル大使館職員/ペソーア研究者)】

2009年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程単位取得退学(博士〔学術〕〔東京外国語大学〕2012年)。東京外国語大学大学院、ポルトガル・カトリック大学大学院で学ぶ。現在、駐日ポルトガル大使館職員。ポルトガル近現代文学およびイベリア近現代思想が専門。極めてポルトガル的であるとされる情緒〈サウダーデSaudade〉の検討から研究活動をはじめ、現在は主にポルトガル詩人フェルナンド・ペソーアの詩学と思想をもとに、ポルトガル文学・文化事象・心性、イベリア近現代思想を研究し、ヨーロッパの知のあり方とあり様を探求することを試みている。また、2010年SPAC Shizuoka春の芸術祭2010参加作品『彼方へ 海の讃歌(オード)』(作:フェルナンド・ペソア 演出:クロード・レジ) に、翻訳で携わっている。「フェルナンド・ペソーア研究:ポエジーと文学理論をめぐって」(博士論文)、「O Neopaganismo em Fernando Pessoa」(master’s thesis)、「サウドジズモとポルトガルのあり方」(修士論文)など。

【三浦 基(演出家/地点代表)】

1973年生まれ。桐朋学園大学演劇科・専攻科卒業。1999年より文化庁派遣芸術家在外研修員として2年間パリに滞在、演出及び芸術監督の仕事全般を研修。帰国後「地点」の活動を本格化。2007年よりチェーホフの四大戯曲をすべて舞台化する<地点によるチェーホフ四大戯曲連続上演>に取り組み、第三作『桜の園』にて文化庁芸術祭新人賞受賞。その後もKAAT神奈川芸術劇場のオープニングプログラムにラインナップされるなど、京都を拠点にしながら全国的に活躍。2012年には、ロンドン・グローブ座からの招聘で初のシェイクスピア作品『コリオレイナス』を演出し、高く評価される。ほか近品に『光のない。』(作:エルフリーデ・イェリネク)、『駈込ミ訴ヘ』(原作:太宰治)など。著書に『おもしろければOKか?現代演劇考』(五柳書院)。

【山田 亮太(詩人/TOLTA)】

1982年北海道生まれ。東京都在住。詩人。詩集に『ジャイアントフィールド』(思潮社)。近作に「アトムログ」シリーズ(現代詩手帖特集版『はじまりの対話』)、「ジョン・ケージ・クイズ」(「ユリイカ」2012年10月号)、「私の町」(「文學界」2011年6月号)他。ヴァーバル・アート・ユニット「TOLTA」メンバー。2011年から2013年にかけて「ひらくと飛ぶ本」をつくるプロジェクト「トルタバトン」を実施。2013年4月『TOLTA5』刊行。

【八巻 寿文(照明家・画家・美術家/せんだい演劇工房10-BOX 二代目工房長)】

1956年仙台市生まれ。高校卒業後渡仏。リトグラフを学び、帰国した後、東京・岡山・宮城各地で、照明家・画家・美術家として活動。POPOLO CIRCUSE というユニットで、舞踏とのコラボレーションのほかインスタレーションやパフォーマンスを各地の街頭や野外でおこなう。1997年より2年間、文化庁芸術家在外派遣事業によりヨーロッパの芸術家と交流。サーカス学校、舞台技術学校、劇場など多数視察。舞台美術家、ユネスコ院長、国際演劇協会、コンテンポラリーダンサーなどと対談を行う。2001年には仙台の美術家6名による「うぶすな美術研究会」のシテ・アンテルナショナル・デ・ザール(パリ)での現代美術展およびフォーラムを開催。2002年より、せんだい演劇工房10‐BOXに勤務し、2005年には、せんだい演劇工房10-BOX 二代目工房長となる。

【澤野 正樹(俳優・企画制作者/若伊達プロジェクト事務局長)】

1987年生まれ、秋田県出身。仙台シアターラボ所属。若伊達プロジェクト事務局長。せんだい舞台芸術復興支援センター(SPIC)事務局。個人でも、舞台芸術団体のプロデュースや運営、企画立ち上げを精力的に行っており、『場』を形成することで、仙台、そして東北に活力を与えるべく奮闘中。主な立ち上げ団体は、短距離男道ミサイル、若伊達プロジェクト、C.T.T.sendai、舞踏ノ箪笥など。


▷しおり作製&配布

平凡社から販売された直後の『新編 不穏の書、断章』(訳:澤田直)にちなんで、制作で入っていた永井彩子がしおりをデザイン&作製。裏面が割引券になっており、会場に用意した原作本を完売させる成果も。あっという間に店頭から消えた伝説のしおりになりました。当時の演劇界隈ではこうした取組みは殆どない中、演劇と読書をつなぐささやかなチャレンジに。


▷SNS上でのペソアと絡めたリスボン観光案内

上演中に使われたテクストの中に、ペソア自身がリスボンの街の観光案内を書いたものが登場します。そこで登場する実際のリスボンを先にご紹介してしまうことで、観劇前から作家の生きた街と公演を一緒に楽しんでもらう制作チームの試み。

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