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『戸口の外で』について

火曜日, 8月 5th, 2008

今回の公演は、私が尊敬している演劇人の一人である故・太田省吾氏へのオマージュとして企画されました。取り扱う戯曲は、氏がまだ二十歳だった頃に「兄の言葉のようにして読んでいた」というヴォルフガンク・ボルヒェルト(独)の『戸口の外で』です。
大抵オマージュという形式をとる場合、その人物の作品を題材にするのが通常であり、現に太田氏は多くの戯曲を残されているのですが、今回は直接の作品を取り上げることよりも氏が演劇人生を送る上で貫き続けていたもの、それは即ち原初的な感覚といってもいいと思うのですが、そうしたものと向き合うことこそ、後に続く演劇人である我々にとって必要な作業であると判断しました。
『戸口の外で』という戯曲は今から丁度40年前に転形劇場(1968年創立~1988年解散)が旗揚げ企画として試演会で取り上げたもので、当時太田氏は構成・演出助手(演出は当時主宰であった故・程島武夫氏)として参加しています。この戯曲は初期の氏の戯曲にも少なくない影響を残し、〈沈黙劇シリーズ〉を経た後、晩年再び発語による舞台を模索した際にも再び影響が見られるほど、氏の演劇人生に契機をもたらした作品です。
この戯曲は一見過剰ともいえるほど多弁であり、〈沈黙〉を発見した太田氏とは全く無縁ではないかと思われます。しかしながら、この戯曲に貫く〈言い尽くそうとすればするほど遠ざかってしまう言葉と経験の乖離〉という諸形式が、〈発語から沈黙へ〉、そして晩年の〈沈黙から発語へ〉と変遷を辿った氏の原初的契機になったことは、ボルヒェルトの文体を「今、ここに生きている者」を見る眼差しとその方法としての文体と評した上で、「身体とかかわる言葉と無視する言葉があることを教えてくれたように思う」と述懐していることからも読み取れます。
今回、重力/Note2では御遺族の方からの理解を得た上で太田氏へのオマージュという企画意図を掲げましたが、一方で現在的な課題への取り組みとして「〈経験の不在〉によってハリボテのように仮構された現代の状況を如何に描写できるか」「人間を支えている内的な力とは何か、それは描写可能なのか」「現代において信仰は可能なのか(宗教的なものではなく生への信仰)」などを切り口に作品づくりに挑みたいと思います。
重力/Note主宰 鹿島将介